2011年07月25日

東京着

7月24日(日)

予定通り7時半過ぎには成田空港に着陸。これにて世にも不思議な3人旅終了。現地集合、現地解散(残った二人はミラノに移動し、別々に帰国)というのもなかなか無いのでは。

荷物をピックアップして9時発のリムジンに乗り新宿へ。
426.jpg

久々に湯船に浸かるべく銭湯に行き、ついでに体重を量ると56キロを切っていた。お疲れさん、明日から普通の生活だ。でも、まずは歯医者だね。


posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月24日

帰国の日

7月23日(土)

早朝に起きて、顔色や髪の毛の色が変わっていないことを確かめた後、従業員も起こしチェックアウト(支払いは花にツケ)。ゴミの収集の人たちを横目で見ながら、静まり返った街中をサンマルコ広場に向かう。
389.jpg
朝の街角

そしてベネチア最後の海辺で見たものは、必死になってTAXI船を拾う、アメリカ人(と思われる)の、ちょっと太目のオネーチャンであった。広場横のジャルディネット停留所(San Marco Giardinetti)から6時50分発のAlilaguna(アリラグーナ)の船に乗り(15ユーロ)、マルコポーロ空港へ向かう。
397.jpg
無事にTAXIを拾った画

403.jpg
船からの朝の光景

404.jpg
我々の船も結構スピードを出していたが、それを抜くTAXI

空港は結構混んでいて、搭乗手続きまで時間がかかった。日本人はあの色々な人種の、グチャグチャした並び方に弱いと思う。

成田までアイルを希望したが、空いていないという事でウィンドウに座る。北からアルプス山脈を越すはずだ、と言われていたのを思い出して窓から外を眺めるが、どうも良く分からない。これはドイツの黒い森か?
419.jpg

フランクフルトに到着して、最低限の義務を果たすべく、カードが使えないため、なけなしの三千円を空港の両替所でユーロに両替するが、なんだか良く分からない手数料込みで1ユーロ163円とボラれる。そう言えばと、昨日ベネチアの両替所で、これまたなけなしの1万円を両替した時のレシートを確認すると、なんと170円であった!両替所、恐るべし。

最悪の気分でルフトハンザのカウンターに行き、もう一度搭乗予定便のアイルが空いていないか確認すると空きがあり、席を替えてもらい少し気分を直す。それにしてもこの空港は広く、ゲートによってはかなり歩くため、移動に時間がかかるので要注意だ。免税店で土産を買い、異国の地でするべきことは終わった。

長距離でウィンドウAとかKは最悪だ。ベストはアイルのDとかGだが、その次がアイルCとHと思っていたが、隣に大男でも座らない限り、E、Fの方が良いかも。今回はHだったが、隣のJが外人、ウィンドウKが日本人で、結局、常時2人の出入も相手にしなくてはならないので、全く落ち着かないばかりか、またしてもぐっすり寝る事は出来なかった。寝ると寒いが起きてるとちょっと暑いという、気温設定にもはまってしまい難儀。

ちょっとした飛行機座席トリビアだが(誰でも知ってる?)、3−4−3席のABC−DEFG−HJK(Iアイは無い)という、2通路のワイドボディ機の席記号は、小さな機体にもそのまま適用されており、通路を挟んで左右に2席ずつの場合でも、A席の隣の通路側はC席、通路を挟んだ隣はH席で、その隣の窓際はKになる(AC−HK)。2通路の真ん中が3席の場合はDEGになり、AとKは必ず窓際、CとH(ある場合はDとGも)は必ず通路側になっている。

ルフトハンザ・ドイツ航空(LH325)
ベニス 07/23(土) 10:15 発
フランクフルト 07/23(土) 11:40 着

ルフトハンザ・ドイツ航空(LH710)
フランクフルト 07/23(土) 13:40 発
東京(成田) 07/24(日) 07:40 着
posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月23日

Biennale di Venezia

7月22日(金)

朝食を済ませ、いよいよベネチアでの最大の目的である、サン・ミケーレ島へ向おうとしたが、なんと水上バスは本日ストで運休との事であきらめる。仕方が無いので花と二人で、次の目的であるビエンナーレ(Biennale di Venezia/現代美術の国際美術展覧会)会場のカステッロ公園へ向うが、水上バスが無いため海岸沿いを歩くも、道中に日差しを遮るものは無く暑くて遠かった。

265.jpg 268.jpg
水上バスはお休みだったが、海岸にはこんな船がゾロゾロ

bien.jpg
チケットとプログラム

会場に入ると、話には聞いていたが、小さいながらも各国の恒久パピリオン(約30カ国)があって、その規模に少々ビックリ。日本館もありました(1956年竣工)。

294.jpg 278.jpg
ロシア館の外と中

302.jpg 305.jpg
その隣の日本館の外と中

325.jpg 336.jpg
ドイツとスペイン

355.jpg 361.jpg
イスラエル

昼飯を会場内の野外レストラン(屋根はある)で食べた(今回の旅行で一番気分良く、美味しく食べる事が出来た)後に、離れた場所にあるアルセナーレ(元国立造船所)に移動する。
365.jpg 367.jpg
元造船所

ここで最後に、ジェームズ・タレルのインスタレーションを体験しようとし並んで待つ。一度に3人づつのため、1時間ほど待ってようやく順番が回ってきた。期待に胸弾ませながら部屋に入るが、その期待は大きすぎたようで、終了と共にどっと疲れが出る。

また海岸沿いの道を、暑い思いをしながら引き返したが、往きに見落とした嘆きの橋が見当たらない。そんなバカなと、あるべき場所を良く見ると、こんな事になっていた。なんじゃこれは?この間、北はハリーズ・バーでベリーニ・ランチ(通称一万ランチ)だったらしい。
371.jpg
どうなってるんでしょう?

夕食はTrattoria Ca' D'Oro Alla Vedovaにて。やたらと混んでいて、席も狭くて落ち着かず味わうどころでは無い感じ。表看板はトラットリアを名乗っていたが、中身はやはりバカーロ(bacaro)が相応しいか。

その後、もう少し飲もうという事で、昨日行ったド・モーリを再訪するも、もう閉まっていた。後で知ったがこの店は、朝8時から夜8時までの営業らしい。しばらくあちこち歩き回ったが、例の通り意見がまとまらず、ホテルに帰り飲む事にしたところ、こちらのバーも閉まっており、仕方なく北の部屋でダベり、イタリア最後の夜は更けて行った。
posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

ベニスへ

7月21日(木)

朝食の場所(部屋)が分からずに迷う。ホテルが2つ3つ通路で結合され、朝食用のスペースを共用しているようで、複雑怪奇だったが内容は充実していた。

チェックアウトすべく、カードで支払いを済ませようとしたところ、ピンコードを入力して、と言われたが何のことやら。ナンですか?と聞き返したら、ICの入っているカードを使用するには、4桁のピンコードを入力する必要があると、イタリア人から英語で説明を受ける日本人、弱シュールだ。

暗証番号なんてキャッシングの時に必要、ぐらいの認識しかなかったので、全く知りませんし、そもそも普段はネットで買い物する時ぐらいしか使わないからな。話にならないので花に肩代わりしてもらうが、前途に暗雲が。

そんなこんなで、ホテルに荷物を預け、また駅からタクシーで予約した9時30分にウフィツィへ。もちろんここも人生2回目だ。外の長い列に比べ中は非常に空いていて、望むだけじっくりと鑑賞出来る。

155.jpg
ウフィッツイ美術館 第10−14室 サンドロ・ボッティチェッリ
正面が「ヴィーナス誕生」右のでかい絵が「春」

165.jpg
美術館の窓からボッキオ橋も良く見える

昼食はフィレンツェ中央市場(Piazza del Mercaro Centrale)内にある、ネルボーネ(Alla Trattoria Nerbone)でランプレドット(モツ煮込み)のパニーニ(3ユーロ)を食べるた後、ざっと市場を見学。

179.jpg
チーズだのなんだの

183.jpg
タコも堂々と売っている

ホテルに戻り、荷物をピックアップしてフィレンツェ13:30発のユーロスター(43ユーロ)に乗り込むが、ここで本日2回目の問題が発生。実は座席について、昨日もうすうす感じてはいたのだが(笑)、2人だったので深く追及せず、そのままにしたけれど、今日は3人ということもあり、そうもいかない。座席がなぜか下図のような並びのため、座席番号2〜4まで3枚連番で指定席を購入すると、Vの字に着席する事になってしまう。故に皆さん有人窓口でチケットを買っているのか?頼んで席を替わってもらい、本来あるべき形で座ることが出来たが、大いなる謎である。
eurostar[1].jpg
電車内の謎の席順はこのようになっている。

走り出して車内の案内を見て、昨晩の夕食時にお会いした方々は、ユーロスターの乗務員であったことが判明。道理で見たことのあるマークだったわけだ。

15:33にベニス(ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅)に到着し、駅を背に通路を進んで行くと、急に駅前の広場に出て視界が広がる。駅前は運河になっていて、ちょっと良い風景だ。その広場の駅から見て左下辺りに、ヴァポレット(Vaporetto)のFerrovia FERROVIA S.LUCIA駅があり、そこから水上バスに乗る。しばらく乗船した後(Ponte dell')Accademia 駅で降りて HOTEL LA FENICE ET DES ARTISTESに向かいチェックイン。

193.jpg
駅前の広場と運河

197.jpg
水上バスの中の表示板

部屋に荷物を置いて食事に出かけたが、まず老舗バカーロ居酒屋のカンティーナ・ド・モーリ Cantina Do Moriで1〜2皿つまみ2杯ほどワインを飲んだ。この店は老舗と言っても、竹内文書や東日流外三郡誌も恐れ入る、1462年創業だそうだ(当時は酒屋カンティーナだったらしい)。その後Trattoria Rialto Novoで夕食。店は裏道沿いだが、海が近いのでカモメが側を徘徊している。

218.jpg
ドモーリにて

222.jpg
お約束の夜景

食事を終えて路地を徘徊しながらホテルに帰ると、時間もそれなりなので各自部屋に戻り就寝。

203.jpg
お約束の今日のビデ
posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

フィレンツェ

7月20日(水)

例の理由によりシリアル主体の朝食を済ませ、ミラノ駅からユーロスターに乗りフィレンツェに向かう。

定時どおり10時15分に出発し、予定通り12時にフィレンツェに到着。今晩宿泊するB&H Hotelsは駅近くで、中央市場あたりを、うろついているはずの北に電話して、そのままホテルで待ち合わせ合流。

北は数日前からアルコ入りしていたので元気だ。アルコといえばアルコ・アワー(アルコ劇場だったかも)の「おらぁ三太だ」と相場が決まっているが、あの洗剤の名前は、スイスも近いイタリアの地名から来ていたのか?

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会を横に見ながら、路地に入ったところにある、Trattoria al Trebbio でミックス・サラダを頼んだが、食い付きが悪かったため(痛くてね)、説教をされながらランチを食べた。

ホテルに戻りチェックインした後、駅前に戻りタクシーを拾い、ウフィツィ美術館 (Galleria degli Uffizi) に行くが、やはり非常に混んでいたため、翌日の午前9時30分の入場を予約した。その後、ボッキオ橋を行き来したり、ジェラート食べたりしながらドゥオーモに移動。

095.jpg
ウフィツィ美術館横からボッキオ橋を望む

広場で石(大理石かも)評論家の講義を受けた後、あまり考えずにジョットの鐘楼 (Campanile di Giotto) に登る。一番上の屋根の部分に出てしばらくして、以前にもここへ来た事があるのを思い出した。そしてその時も大変怖い場所だと感じた事も思い出す。何しろ石で組んであるだけなので、ある時いきなりボロッと崩れるのではないかという恐怖のイメージだ(笑)。そしてその時も、今度はドゥオーモに登ろうと思ったんだっけ。

117.jpg
石・・・

126.jpg

131.jpg
鐘楼からの眺望

そして我々が、なぜフィレンツェで集ったかというと、ラープロ北が Banchi Ramen (番気ラーメン)を訪れたいと、強く希望したためであった。ドゥオーモに行く前に店の前を通りかかるとシャッターが開いていて、何となく準備をしている雰囲気だった。ところが帰りにいざ立ち寄ると、シャッターが閉まっているではないですか!張り紙を見ると今週から夏休みらしい。先ほどはなぜ開いていたのかと思うが、営業していた訳ではないので結果は一緒。この事により、フィレンツェに来た意味はほぼゼロになってしまった。

打ちひしがれている割には、夕食の場所について、永遠に意見がまとまらないかと思われたが、無事 La Grotta di Leo に落ち着く。ワインを飲んでいると、制服を着た綺麗な人が後ろにいるので見てみろと言われる。男女数名、どこかの航空会社のアテンダントの方々かと思ったが、若干雰囲気が違うような・・・あのマークは何処だろう。

食事を終えてホテルに戻ると、北の部屋のエアコンが効かず一騒ぎ。

088.jpg
今日のビデ
posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月20日

イタリア人とは@ミラノ

7月19日(火)

歯の痛みに堪えながら朝食を食べ、一休みしたあと、このままではまた寝てしまいそうなので、すっきりしない天気の中、町の中心地に向かってみる。疲れがだいぶ取れたためか方向感覚が戻り、地図と頭の中が一致して、昨日の迷いが嘘のようだ。

046.jpg
ムッソリーニが完成させたミラノ駅、銅像残さず駅残すか、なかなかの威風だ。

レップリカ広場(Piazza Della Repubblica)からダニエーレ・マニン通り(via Daniele Manin)に抜ける路上がイタリア人とは何か語る。基本的にこんな人達だ。

030.jpg
031.jpg
芸術的な停め方と言えるだろう、その前に「過剰に」とか「無駄に」等が付く可能性が高いが。

035.jpg
その前の車も美しさには欠けるが、イタリアは表現されている。

反対側も十分にその流儀に従っている。
036.jpg

イタリア車ネタとしては、20数年前に来た時は、ほとんどイタリア車ばかりだったのに、昨日から外車が溢れている事に驚かされた。その中でも一番驚愕したのは、ミラノ駅前で客待ちをしているタクシーの3割ぐらいがトヨタ・プリウスだった事だ(肝心の写真が無い)。

また当時のトリノの裏通りでは、車道の端から1メートルぐらいの所に、幅数センチぐらいの黒い帯がずっと付いているのを良く見かけたが(要はオイル漏れの跡だ)、今日、ここミラノではそのような模様は見当たらない。町からイタ車が減ったからだろうか、それとも時代が変わったのか、トリノの裏通りを観察しに行きたい衝動に駆られた。

その後ダニエーレ・マニン通りにモスコヴァ通り(Via Della Moscova) がぶつかったあたり、インドロモンタネッリ庭園(Giardini Pubblici Indro Montanelli) につながる緑地(公園?)横の、大きなパラソルとテーブルの組み合わせが、店横のスペースに3つほど配置してある売店で、ラッパー系の物と水を指会話で購入し、合計金額を聞こうとしたら、さっとレシートを出してくれて(5.3ユーロ)、スムースに支払いが済む。そして痛みに堪えながら(笑)ノロノロと食べていると、やがて雨が降って来た。
037.jpg

040.jpg

雨はどんどん激しさを増し、そのうち雷まで鳴り響く始末。パラソルの下にいても、吹き込んでくるぐらい強くなったため、座っているどころではなく、半身濡れた状態になる。小一時間ほどするとほぼ降り止んだが、まだ雨雲が切れないようなので、急いでホテルに戻ると、どっと疲労感が(笑)。外出はあきらめて部屋で疲労回復に努める。

057.jpg
駅前の特定の顧客が集っているような謎の売店

夜8時にホテルロビーで花と合流。ミラノ駅近くのPIANETA LUNAという、ココもまた何でも出す、セルフサービス形式のレストランで夕食。ホテルへの帰り道すがらミラノ駅に寄り、明日の電車のチケットを並ぶ事無く自販機で購入。しかし有人チケット売り場は混雑し列を成している。フィレンツェまでのチケットは53ユーロなり。

067.jpg
駅前の夜景

花もイタリアに到着したばかりで、お疲れのようなので、そのままホテルに戻り就寝。
posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月19日

ミラノへ

7月18日(月)

新宿京王DPT前のバス乗り場には、5時40分過ぎに着いてしまい、6時発を予約済みだったのだが、席があるので5時45分に乗りませんか?と言われ素直に従う。

バスの中で少しうとうとしたが、7時過ぎには成田空港第1ターミナル南ウイングに到着。ルフトハンザのカウンターが開いていたので、荷物を預けチェックイン。その後、空港内にある京葉銀行で両替をしたがレートは1ユーロ117.11円だった。時間がかなりあるので、どこかで落ち着こうと思ったが、早朝のためほとんどの店が、まだ閉まっている。

そこらの椅子に座って寝込んでしまうとまずいので、無意味に歩き回り、頃合を見計らい出国手続きを済ませ、指定されたゲートに向うと、そこにはコーヒーショップがあるではないですか。もっと早くここに来て、コーヒーを飲んでれば良かった、で疲労感三倍増。

いざ搭乗しようとすると、初めてのA380だったが、外観は翼端が新世代風かな?操縦席が見えるぐらい前のほうの席だったので、全体の大きさは実感できず。

003.jpg
005.jpg

下記は備忘録。

ルフトハンザ・ドイツ航空(LH711)
東京(成田)   07/18(月) 09:30 発
フランクフルト 07/18(月) 14:20 着

ルフトハンザ・ドイツ航空(LH254)
フランクフルト 07/18(月) 16:25 発
ミラノ/マルペンサ空港 07/18(月) 17:35 着

滑走路に向ってダラダラと走っていると思ったら、次の瞬間はウェルカムドリンクだったので、1時間ぐらい寝たかも。供されたスパークリングワインを飲んで、再び寝ようとしたがダメで、座席前のモニターに、ゲーリー・ニューマンのドキュメントを発見して見入った。またCDというカテゴリーもあり、ジェネシスのフォックストロットや、ノイ・バウンテンのアレス・ヴィーダー・オッフェンが用意されていたりして、ルフトハンザの機上である事を実感。

011.jpg 
012.jpg

そしてメシ、ここぞとワイン3杯飲み、眠りモードに入るが1時間ぐらいで目が覚めてしまう。しょうがないのでまたモニター見たり、読書したりして時間を潰すと、そのうちまたメシなのだが、今度はここでガンガン寝てしまうと先が心配で眠れなくなる。2食とも餡かけ飯的なものでちょっと鬱。

s-20110926124356737_0001.jpg
今フライトのメニュー 

008.jpg
牛肉の柳川丼?

ようやくフランクフルトに到着し、2時間のトランジットでミラノ・マルペンサ空港へ。そこからバスに乗りミラノ中央駅へ向う、周囲を若者の(高校生?)集団に囲まれて、うるさくて寝られず雲を眺めているうちに、1時間半ほどで着いたが、そこから諸般の理由によりホテルが見つからない。1時間以上歩いて探しているうちに、睡眠不足と旅の疲れから、過去に治療した全ての歯の歯茎が痛んできて、本当に泣きそうになりながら Nuovo Albergo Monopol Hotel にようやく辿り着く。

019.jpg
イタリアの雲(笑)、湿度が低いためか、秋空に夏の雲が浮いているようで妙な光景

022.jpg
お約束のビデ、ウォシュレットの元祖と思えなくも無い

チエックインした後、もうだめだったのですが、とにかく食事をしなければと、ホテル近くのFRIENDSと云うBAR-RISTORANTR-PIZZERIAへ食事をしに。要はイタリア料理であれば、何でも出しますなお店なのだが都会派か。しかし噛むと歯が痛く、味わうどころか泣きながら食べる。店の人も異様なモノを感じた事であろう。ここまで丸2日間で睡眠時間は断続的に3〜4時間で、疲労の極地、オレこんなところで何しているんだろう状態。ホテルに戻ると歯などの痛みも通り越し、気絶的熟睡。
posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月18日

イタリア旅行前夜

7月17日(日)

明日からイタリアへ行くのだが、旅行慣れしていないのに加え、生来のものぐさが祟り、行く前から大変な思いをする。

一応、14日木曜日に友人から旅行カバンを借りるぐらいの準備はした。また、そのカバンがかなり大きいと認識してはいたが、ヨーロッパ5泊であればこのぐらいで良いのでは、と言われ、そうですかと。

しかし、今日、荷物を詰めると半分も埋まらない。考えた末、これは外側の交換しか無い、と言う結論に至り、古いカバンを引っ張り出すも、鍵が見当たらないのでガムテープ巻きか?

どうしたものかと、持ってゆく小物の荷造りをしながら、ダーウィンが来た!世界の果てまでイッテQ!と、来たり行ったりだな、とつぶやきながらカメラテストしたりするうちに腹が決まり、家を飛び出してチャリでドンキへ。

環七方南町店に突入すると、想像していた5倍ぐらいのセレクションがあり驚く。そのため一瞬、真剣な買い物モードに入りかけたが、その辺の感情を抑え、一番安い4千円の布製の物を(自分にしては)ごく短時間にて購入。

427.jpg
左端が借り物で真ん中がドンキで購入したカバン

イタリアでは湯船に浸かる事は難しいと分かっていたので、家に着くと即座に銭湯に向う。そしてまだ夕食を食べていなかったので、近所の居酒屋に寄って飲食と言いつつ飲む。

帰宅し、酔った頭と体で、ようやく荷造などを終え、なんとか出発できるようになったのはもう3時だったが、6時には新宿発のエアポートリムジンに乗らなくてはならないので、とりあえず寝るのは止めにした・・・ハードなツアーの始まりだ。
posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロックの日

7月17日(日)

思えば40年前の1971年7月17日(土)は、日本に本格的に生ロックが注入された日だった。

「A TOKYO KYODO PRESENTATION 1971 大ロックカーニバル ロックカーニバル#6 グランドファンク特別出演」と銘打ったコンサートが、4万人!を集めて後楽園球場で開催された。それまでにも大会場ロックコンサートとしては、武道館で2回ほど開催されてはいたが、BSTとシカゴという、いわゆるCBS系の不良度の低い、ブラスロックバンドだった。

出演は、モップス 、麻生レミ&スーパー・グループ 、Mashmakhan、Grand Funk で、当初、麻生レミは、指のないギタリストのいる、WYNDというバンドをアメリカから引き連れて来ると言う触れ込みだったが、入国できなかったとかで、井上堯之(G)・大野克夫(Kb)、原田裕臣(Dr)・山内テツ(B)で構成した、スーパーグループに変更になった。

またMashmakhanについてネットのあちこちに、霧の中の二人(As The Years Go By)のみヒットしたバンドのように、いい加減な事が書かれているが、その次のフルートを前面に押し出した、水色の世界(Gladwin)もヒットしていて、それなりに馴染みのある(比較的高尚な)バンドだった。

もう記憶は定かではないので、当日の進行を推測すると、午後6時に開演し、モップスと麻生レミ(ジャニスの物真似)が30分ずつ演奏し、セット替えの時間を含んで、マッシュマッカーンの終了が8時前ごろで、その後にGFRが出て、9時頃に全て終了というものだったと考えられるが、それだと時間的にかなりタイトなので、終了は9時半を予定していたのかもしれない。昔は今より緩かったとしても、都心の野外ロックコンサートが10時終りの予定は無かっただろう。

ところが実際は、マッシュマッカーンの演奏中に、急に強い風が吹き始め、彼らがステージを終える頃には、大雨となった。そしてあろう事か、雹まで降り出す始末で、暫く中断となるが、やがて雨も小止みになり、GFRが車に乗って登場した。その時点で既に9時は過ぎていたと記憶しているが、9時半ごろだったという話もある。そこから多分1時間は演奏を行ったので、終了したのは10時半頃、あるいはもっと遅かったのかもしれない。

コンサート自体は、大変盛り上がり、今や伝説となっている。GFRの曲はストレートで小難しいところがないため、人による曲の解釈がブレずに、心が一つになりやすいのだろう。天候も伝説形成の一助となった事は確実だが、あの雨を通して、日本人の体にロックが沁みたのではないかと思っている。何しろご丁寧に大阪でも雨が降ったそうだ。

以下は、その時に撮った写真で、トリミングは無し。カメラはPENTAX S2で、初めて135ミリの望遠を使った時だったが、絞りは開放としても、半分以上は手ぶれしているので、シャッター速度は15分の1ぐらいか?フィルムはトライXだが例の長尺を切ったモノなので、コマの順番が分かりづらかった。実は当日、ニコンの8ミリカメラを借りて、スーパー8の画像も撮った。そちらは最後に貸し出した人は判明しているのだが、時間の壁が厚く、取り戻せていない。もしいつか手元に戻ってくる事があれば、即座にYoutubeにアップします。紛失や処分されていない事を願うばかりだ。

ちなみにマーク・ファーナーはネイティヴ アメリカン(チェロキー)の血をひいているとのことだった(真偽不明)。見るからにそんな感じではあるけど。

IMG_0016.jpg
マッシュマッカーン、キーボードの人がフルートを吹いている
ステージ下では風で吹き飛んだ看板を片付け中

IMG_0021.jpg
GFR演奏開始直後(たぶん)

IMG_0011.jpg
歌を歌っているときはこんな感じ

IMG_0002.jpg
ドラムソロの後半か?マークとドンが楽器を持たずにドラムと絡む

(おまけ備忘録)ロックカーニバル#1〜5

#1 70年12月 ジョン・メイオール @日劇
#2 71年2月 BST @武道館
#3 71年2・3月 BBキング @厚生年金会館、サンケイホール
#4 71年4月 フリー @共立講堂、サンケイホール
#5 71年6月 シカゴ @武道館
posted by チェリー at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | EVENTS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月10日

「三越納涼寄席」〜新作落語特集 この人のこの噺〜@三越本店

7月9日(土)

橘家圓蔵が、かつての月の家円鏡だと言う事は分かったが、正直、その他はシェイクスピアも含め、良く理解できなかったのは、まだまだ修行が足りないのだろう。

ちょっと驚いた事に、ここの劇場の開口一番はすごく早く始まる。定刻10分ぐらい前では?

また午後1時から始める設定も早すぎやしないか?せめて1時半からだろ。なので終わる時間も4時頃という中途半端な時間。ビヤガーデンとセットになったチケットもあったが、ビヤガーデンは5時半からだし。その間にお買い物をして頂くって話であれば、客の都合ではなく店の都合。

客層は年寄りが多く、まるで老人ホームの野外活動のようだ。そしてプラスチックバッグ(コンビニ袋)をいつまでも触り続けて、ガサガサと例の不快な音を出し続ける人(なぜか女性のお年寄りに本当に多い)、周り(隣ではない)の人と頻繁にゴソゴソ喋る人、自分の座るべき席が認識できない人など、普段ではお目にかかる事の少ない人種で、溢れかえった空間だった。

終了後はなんとか5時まで時間を潰し、テング酒場の八重洲店に開店と同時に入店して痛飲。

時間つぶしの際、今や珍しくなったampmで見た、尾道ラーメンというカップ麺を、他でも買えるだろうと思い買わなかったが、その後、見る事は無いのであった。

この劇場で、9月22日に開催される563回落語会は、修業の足りない身でありながらも、楽しめそうな気がする(笑)。

開口一番 「熊の皮」 春風亭吉好
「 こ う も り 」 林家木久蔵
「お父さんのハンディ」 三遊亭歌之介
「 反 対 俥 」 橘家圓蔵
  お 仲 入
バイオリン漫談 マグナム小林
「恋は異なもの味なもの」 古今亭志ん輔
(シェイクスピア「十二夜」翻案)
posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | EVENTS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月03日

もこさん誕生日

7月3日(土)

奥さんの誕生日という事で、N家よりお招きにあずかったのだが、急だったため、何も持たずに(ビールは持参したが)行く事になってしまった。またも一通りご馳走になった後(餃子ウマー)、総勢7名でカラオケに繰り出す。

GSとアニソン歓迎との事だったため、最初の今日を生きようはOKだったが、ガールフレンドは誰も知らずで、後期関西系はダメか。次回(あるのか)はオッケーと、好きさ好きさ好きさで行ってみようと思う。

他はオンリーユー(ばちかぶりカバーオーケンバージョン)に挑戦してみたが、セリフは難しいね(笑)。次回(あるのか)は、愛のリビドー(カラオケにあるのか)してみようと思う。

そんなこんなで、その後も夜中まで人の家で飲み、おだをあげた(でた死語)上、またもカメ氏に、車で家まで送ってもらったのであった。

皆様どうもありがとうございました。
posted by チェリー at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。