2011年11月25日

だんしがしんだ

11月24日(木)

立川 談志(1936年(昭和11年)1月2日 - 2011年(平成23年)11月21日14時24分)落語家、落語立川流家元。本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。11月21日14時24分、喉頭癌により死去、享年75歳。 戒名「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」

以下は時事通信のコピペだが、最後の「今年3月6日の川崎市での一門会の高座「蜘蛛駕籠(くもかご)」を最後に・・」と言う部分、最初は何となく身内の会だったのかな、などと思っていたのだが、良く考えたら麻生区は川崎市で、6日はあの日じゃないですか。

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当日のチケット

高座の上で・・・ではなかったけれど、十分それを思わせるような、鬼気迫っていましたからね。実は当日、終了後にホールの外に出たら、救急車も止まっていたのでした。ご冥福をお祈りします。


「落語家で元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日午後2時24分、喉頭がんのため死去した。75歳だった。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。後日、お別れの会を行う。喪主は妻則子(のりこ)さん。

 1952年、高校を中退して五代目柳家小さんに入門。63年真打ちとなり、五代目立川談志を襲名した。回転の速いしゃべりと毒舌でテレビ番組でも人気者となった。66年に始まった日本テレビ系の「笑点」では初代司会者を務めた。

 69年、衆院選に旧東京8区から出馬し落選。71年には参院選全国区で最下位当選し、自民党入党。沖縄開発庁政務次官を務めたが、酒に酔って臨んだ記者会見での問題発言で次官を辞任した。

 その後、落語家の活動に力を入れたが、真打ち制度をめぐり、所属していた落語協会を83年に弟子と共に脱退し、落語立川流を創設して家元に就任。常設の寄席に出演できなくなったものの、ホールでの落語会を続け、人気を集めた。落語は「人間の業の肯定だ」として、古典を現代的に究めることにこだわり続けた。

 弟子にはテレビの司会などでも活躍する立川志の輔さん、立川志らくさん、古典落語が人気の立川談春さんらがいる。

 談志さんは97年に食道がんの手術を受け、がんや持病の糖尿病と闘いながら落語を続けた。3年前には喉頭がんを治療したが、昨年11月に再発。本人の希望で手術はせず、できる限り高座に上がり続けたが、今年3月6日の川崎市での一門会の高座「蜘蛛駕籠(くもかご)」を最後に活動を休止していた。 


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2011年11月21日

除染の謎

11月20日(日)

昨日こんなニュースを見たが、この人事はシャレか?除染対象と思われる人物が除染担当?お役所仕事、お役所人事だねー。

<福島第1原発>除染チーム次長に西山元審議官任命
毎日新聞 11月18日(金)22時12分配信

 環境省は18日、福島第1原発事故による放射性物質の除染や汚染廃棄物の処理に対応するため、福島市内に設けた「福島除染推進チーム」の次長として西山英彦・経済産業省元官房審議官=現在は大臣官房付=ら3人を同日付で新たに任命したと発表した。3人は経産、農林水産、国土交通の各省から選ばれ、いずれも環境省水・大気環境局との併任で、福島市に赴任する。次長には既に環境省幹部1人が着任しており、計4人になる。

 西山氏は経産省原子力安全・保安院で原発事故に関する記者会見での説明者を務めていたが、女性職員との不適切な交際を週刊誌に報じられて更迭、9月には懲戒処分を受けていた。
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2011年11月18日

変わらぬ芸風の謎 スポーツ編

11月14日(月)

先週の12日土曜の夕方、何気無くテレビのスイッチを入れて、これまた何気無く、いつもは使わない、チャンネルのアップダウンの矢印を触ったら、サッカー中継が映し出された(何テレビだったのだろ)。

嫌いではないのでしばらく見ていると、突然ある選手の存在に気づく・・・し、師匠、鈴木隆行だ!いつのまにか水戸ホーリーホックにいたんだね。

すると、いきなり例の、後方倒れこみ技が炸裂し、ファールを獲得。あの時から(いつだっけ?)芸風が全く変わっていないので驚く。更にもう一回炸裂させたが、こちらは芸に少し強引さが見られたものの、何とか無事にファールを獲得。もうすっかり嬉しくなって、元気を貰ったのであった。

次の日曜日の夜に銭湯に行き、その帰りにいつもの居酒屋に寄り、ビールを飲みながら日本シリーズを観戦。しかし、普段は野球から遠ざかっているため、いつの間にアメリカみたいにボールカウントから言うようになったの?などとヘラヘラしていると、いきなり見覚えのある選手が登場・・・河原だ!いつの間にか中日にいたんだね。

しばらく見ていると、これまた昔のイメージどおり、2アウトを取った後に打たれて、その次のバッターに四球を出し、ピンチを迎える。ドキドキしながら見ていると、次のバッターが打ち急いだ感じで、無事に抑える事ができて良かった。しかし残念な事に、17日(木)には、なんと無死満塁という場面で登板し、四球を出してしまったらしい。

久々に変わらぬ芸風に触れ、ちょっと嬉しい気分になった話でした。
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2011年11月17日

浅野屋+シュガータウン@大井町

11月16日(水)

Wさん、Yさんと大井町の浅野屋に飲みに行く。

席上で、そう言えば最近、由紀さおりとピンク・マルティニのコラボCDが出て、アメリカやカナダで流行っているみたいですね、などと話していると、Wさんが、実は奥さんがピンク・マルティニのファンで、件のCDもオーダー済みだが未着との事。夜明けのスキャットも入っているようですが、あのイントロの処理はどうしているのか興味深い物があります。マンマだとアメリカではサウンド・オヴ・サイレンスだと思われるだろうし、かといって全く違うイントロだと曲の成立が難しい?

この曲、個人的にはイエモンのせいでトラウマが・・・浅野屋、いい店です。全国の居酒屋ファンに捧げます。

次にシュガー・タウンへ移動。オーナーの方がコレクションした、歌謡曲のシングル盤を中心に、ちゃんとタンテとミキサーを使い、一曲ずつかける店なのだ。加山雄三のモンテローザをリクエストしたら、ありましたよ。もちろんシングルではなく、さりとてCDでも、LPでもなく、「蒼い星くず」「ブライト・ホーン」「走れドンキー」「モンテローザ」の4曲が入ったEP、カッコイイ。ブライト・ホーンも聴きたかった。

加山雄三が歌謡曲と呼ばれる物の中でも別格なのは、岩谷時子の詩によるところ大だね。思わず心の中で、ヒラサー、オーケン、トキコーと、つぶやいてみたりした夜だった(笑)。
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2011年11月09日

神楽坂上近辺の最近

11月8日(火)

久々に神楽坂上交差点に差し掛かると、象徴的存在であった、タイヨウ時計店のシャッターが閉まっているので近づいてみると、張り紙があり9月20日付で下記の様に書かれていた。

本日をもちまして閉店いたします。長い間のご愛顧ありがとうございました。

新宿区地域ポータル「しんじゅくノート」[新宿区トップ] > 神楽坂の魅力、2010/11/12付けで、インタヴュー記事が掲載されて、1年もたっていないのに。昭和22・23年ごろの創業だそうだ。

更に坂を上がった、赤城神社の入り口近辺に、イルキャンティロッサという、キャンティの支店が出来ていた。こちらは昨日11月7日にオープンしたようだ。この場所は以前、つけ麺処 むあんと言う店だった。

閉じる店あれば、開く店ありと言う、いつもの話でした。
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2011年11月07日

Beat Sound フィル・スペクター特集号 No.19

11月6日(日)

以前より継続して今号を買われた方は、中を見て(表紙もヤバイけど)唖然とした事だろう。なんと内容はオーディオ・ロックを中心にしたビート・ミュージックの再生を考えるリアル・タイム・ハイファイ・マガジンとはだいぶ離れて、2009年に第2級殺人罪で有罪となり、禁固19年判決が言い渡され、カリフォルニア州立刑務所の薬物中毒治療施設に収監されているフィル・スペクターの特集なのだ。

しかも、その中身たるや、最近発売されたアルバムをリマスタしたCDボックス等の、ある意味ヨイショ記事中心。彼の功績をきちんと捕らえたければシングル中心の特集を組むべきではないか。例えばフィレスのシングル全部入りBOX発売時とかね。紙のディスコ・グラフイーだけでは悲しい。

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数少ないオーディオネタ系のページでは、Altec604を聴いて、当時だモノラルだ云々なんて書いてあるが、ゴールドスター・スタジオは603だったと書かれたコンテンツを見た事がある。また当時のアルテックのアンプの写真をいくつか見た事があるが、それらは6CA7が使われていた。604をKT66や6L6で聴くとか、おざなりな企画ではステサン社の名が廃ると言うものだ。雰囲気とか勢いではなく、もっとしっかりしたリサーチが必要では。

また、Altecスタジオモニターというと、すぐに604Eが取り沙汰されるが(死語だ)、モータウンも68年までは605A、アビーロードもビートルズ使用時は605Aで、おまけにそのスピーカーは、アップル・スタジオにリースされて使い続けられた。オーディオ・ロックを中心にしたビート・ミュージックの再生を考えるのであれば、605Aの徹底研究でもやったらどうだろう。

Beat Soundの今後や如何に?
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